著作権における類似性

*著作権における類似性 *

白田 秀彰

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音楽著作権に関して、興味深い現象が起こっている。一つは小林亜星氏の曲「どこまでも行こう」と服部克久氏の曲「記念樹」とのあいだの著作権侵害訴訟 (以下、「小林・服部事件」)。もう一つは大泉逸郎氏の歌うヒット曲「孫」と水沢明美氏が8年前に歌った「二度惚れ酒」とのあいだの盗作騒動(以下、「孫 騒動」)である。

小林・服部事件に関する判決文の現物を見ていないので細かな分析はできないが、判決は、両氏の曲に「類似性がない」として小林氏側の訴えを棄却したらしい。しかし、TVなどで二つの曲の比較を聞いた誰もが「似ている」と感じただろう。

実際に譜面に起こしてみると、16小節のうち数箇所しか違いがないらしい。仮にこの程度の違いで「類似性がない」と裁判所が判断するならば、誰か他人の曲をコピーしてきて、数箇所の音符を入れ換えて「はい、別の曲のできあがり」という行為を裁判所が容認したことになる。また全体の楽想(曲のイメージ)の違いをもって「類似性がない」としたならば、他人の曲の音符のいくつかを入れ換えアレンジを変えて「別の曲だ」と主張することを認めたことになる。この考え方をとれば、現在の音楽ビジネスの基本となっている著作権制度をなし崩しにすることは間違いない。

また、判決で示された考え方を素直に拡張すると、私のようにへたくそなピアノ弾きなら、誰の曲を公に演奏しようとも「類似性」を生ずることができないので著作権侵害にならないことになるだろう。これは素人音楽家にとっては喜ばしいことかもしれない。

一方、孫騒動についての類似性の程度は小林・服部事件の類似性とほとんど同様である。これもはじめの8小節のうち二個所が違うばかりという。実際TVで聞く限りではメロディーは同じに聞こえる。大泉氏と水沢氏の曲の違いは、各歌手ごとの味である「節回し」の範囲に入る程度の違いでしかない。先の音楽ビジネスの基本を守る立場からすれば、この類似性は無視することはできない。ところが、演歌についていえば同じようなメロディー、同じような歌詞、同じようなアレンジを伝統として待ち、歌い手の技量で勝負するという要素が強い。だから著作権法の強調と徹底は演歌というジャンルを非常に息苦しいものにすることになるだろう。

音楽ビジネスからみれば演歌の占める割合は微々たるものらしいので、著作権法の徹底で演歌が衰退しようとも、ビジネスの視点からすればあまり問題とはならないかもしれない。また、「演歌だけは違う」というような御都合主義的な主張も可能かもしれない。しかし、似たような曲でビジネスをしているという観点からすればポピュラーやロックであっても安心していられないことは、ご存知のとおり。

ある18世紀のヨーロッパの音楽家兼数学者が、曲に使用される音のすべての組み合わせを計算し、12音階を前提とする限りメロディーの多様性に限界があることを示し、これを悲観して自殺した、というような話を読んだことがある。現在のコンピュータ技術を持ってすれば、すべてのメロディーの組あわせを機械的に生成させて、将来登場する可能性のあるすべての曲の著作権をあらかじめ取得することが可能になっている。これは定型詩である俳句でも同様である。日本語の50音すべてから17文字選んで作り出せるあらゆる文字列を生成しておけば、あなたはこれから100年近く俳句というジャンルを独占することができる。

著作権法の「模倣を禁ずる」という発想を徹底することが、実は創作者たち自らの創作活動に重い足枷をかけることになることが小林・服部事件そして孫騒動をみて理解することができる。そしてその足枷は新進の創作者たちにとって一層重いものになるのである。

「パクり」とよばれる模倣行為が蔓延しているというよりも、心地よいメロディーを求めなければならないという大衆音楽の性質上、やむを得ず「似てしまう」ことになるというのが小林・服部事件、孫騒動の実際なのだろうと考える。しかし、こうしてやむを得ず似てしまう業界において、きちんとビジネスがまわっていたという事実も見逃してはならない。

楽曲から上がる収益、楽曲から得る創作者の名声、こうしたものを実質的に担保している要素は何なのか、それらの利益をどのように分配することが「公正」なのか、この点を分析せずして創作者のための制度を維持することはできない。逆に、「模倣」や「類似性」の概念を追求する観念的な著作権法論の行きつく先は、創作活動の停滞した重苦しい世界だろう。その原因は、現行著作権制度の中心的な仕組みが、著作者を保護したり創作を奨励したりすることを主たる目的としたものではないことにある (詳細は、「コピーライトの史的展開」へ)。

創作者のための権利・制度について根本から考え直すことを すべての創作者すなわちみなさん自身に訴えたい。

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Return 白田 秀彰 (Shirata Hideaki)
法政大学 社会学部 助教授
(Assistant Professor of Hosei Univ. Faculty of Social Sciences)
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