De Legibus et consuetudinibus Interreticuli

刑事分野について考えてみる III

白田 秀彰とロージナ茶会

ようやく刑事分野に関する記事の第三弾。

これまでの流れを簡単にまとめてみる。コンピュータが社会に浸透するなかで、コンピュータが犯罪に利用される事例が現れ始めた。それら事例への対処として、伝統的な刑法体系へのそれらの事例の「当てはめ」が行われた。すなわち、伝統的に確定されてきた刑法の行為類型へ、コンピュータを利用したいくつかの反社会的行為を、可能な限り組み入れていったわけ。こうすることで、これまで積み上げられてきた厳密な刑法体系が、不確定な新事象によって揺さぶられる可能性をできる限り排除しようとした。これは、消極的な態度ではなく、厳密性が強く要求される刑法学においては、実に妥当な態度であった。 ところが、コンピュータがネットワーク化して、ますます社会に浸透していき、かつこれまでの私たちの世界とは違った「新世界」とでも言えるような空間を形成するようになった。いわゆるサイバー・スペース。記述が長くなるので「電網界」と本論では呼ぶことにする。記号と記号処理のみによって成立し、従来の意味での国境のない電網界において、刑法は数多の深刻な問題に直面することになる。

第一に、「行為」を制御することを原則としてきた刑法が、「表現」と「行為」が融合したような、なんとも言い難い状態を制御しなければならなくなったこと。第二に、電網界において、反社会的状態を引き起こすための方法が、ものすごい早さで開発され、常に変化しつづけるだろうこと。自然法則の範囲に限定される私たちの「行為」に対して、電網界におけるさまざまな「方法」には、論理以外の拘束条件がない。私たちの「行為」が、それほど劇的かつ早い速度で変化することはないと考えられるのに対して、「方法」は、人間の(想像 | 創造)力の限界を試すかのような意外性と速度で変化していく。仮にそうした方法に刑法で対処するとして、方法の開発速度、変化速度に従来の意味での立法速度が対応できるはずがない。刑法は、あまりクルクルと変化されては困るものだから。

そして、第三に、それぞれの国民国家において、高い独立性をもって発展してきた(属地主義)刑事法が、かなり緊密な国際的協調をせざる得なくなったこと。後に詳述するけど、国際的に「これは犯罪! 間違いない!」というような行為類型については、国際的に一致団結して、捜査共助条約を結び対抗するようなことも行われている(普遍主義)。たとえば、ハイジャックや通貨偽造なんかは、この部類に入る。

この傾向は、第二次世界大戦後に顕著になったもので、冷戦期における宣戦布告なき戦争としての、組織化したテロリズムに対抗して、国際的に協調するための必要から次第に発展してきたものだ。それゆえ、現在のような民族主義的・狂信的テロリズムの時代においては、ますます国際協調の重要性は増すばかり。ネットを利用した犯罪に対抗するという目的に至っては、国際協調が必須であることが明らかだ。確かに、誰が見ても反社会的でその影響が甚大であるにも関わらず、その行為が国際的に行われているという理由で、法執行ができないなんていうことは困る。だから、私たちの活動が国際化するにつれて、刑事法も国際化していくことになるんだろうとは思う。

しかしながら、これは刑事法の原則の重大な変更を意味している。刑法が「国民に対する生命・自由・財産への攻撃によって効果を発揮する」という仕組みをもつ限り、そうした侵害的手法が正当化されるためには、国民が承認し明示的に権限を付与した政府が刑事法を運用しなければならないはず。ところが、いまのところ国家を超える領域を支配しつつ、かつ手続上も実体上も被治者からの直接・間接の権限付与がなされた統治主体は存在しない。ほんとうなら、刑事法の国際協調に先んじて、私たちの基本権を保障する具体的な安全回路が整備されなければならないはずなんだが、そちらについては、どのようになっているのか。知らないんでご存知の方、教えてください m(_ _)m。

電網界に関する刑事法の国際協調を推進している「場」としては、国連、EU、OECD等がある。日本人は、国際組織の権威にとってもヨワいけど、自分たちと違った社会背景・常識をもつ「誰か」に、自分達の生命・自由・財産の支配権を付与するのはとても危険なことだと警告しておきたい。そうした国際組織の構成員を私たちが選抜する権利や、私たちが裁かれる法廷と準拠法を選ぶ権利や、あるいは陪審裁判を受ける権利などで、私たちの常識 common sense が私たち自身の裁判に反映される安全回路が保障されないと怖い。

とはいえ、だからといって電網界における、あるいは電網界を経由した反社会的行為を野放しにするわけにもいかない。そこで、無理をすることになる。第一、第二の問題点は、哲学的思考を要求するような本質的かつ面倒くさい問題であるので、とりあえず置いておかれているみたいだ。着手しやすく効果が期待できるのは第三の問題点の克服。そこで、電網界を経由して国際的に展開する反社会的な人たちを取り締まるための国際体制づくりが始まったのは、当然のことだ。

ここで、ちょっと教科書的なお話。刑事法の国際的な適用について触れておきたい。

まず、「刑事分野について考えてみる I」で説明したように、国家権力の支配領域における平和の維持が刑事法の原初的形態なのであるから、国家の空間的領域については、行為者がいずれの国の国民であろうと、刑法が適用される (属地主義)。これはあたりまえ。日本法では、刑法第1条に規定がある。それから、その影響が自国の重大な国益にかかるような行為は、自国民だろうが誰だろうが、どこの他国で行為しようが、自国の刑法が適用されることがある (普遍主義)。日本法では刑法第2条に規定がある。とはいえ、国外にいる容疑者を国外で勝手に逮捕することは、他国の主権とりわけ刑事司法管轄への侵害となるので、外国にいる容疑者を逮捕するには、その容疑者が滞在する国の法執行者の協力が不可欠になる。この各国の法執行者相互の協力のことを「国際捜査共助」という。

ただし、他国の主権を代表しているとみなされる外交官については、刑法が適用されない。これが外交官特権。ある国の主権の代表が他国の主権に服するのは、対等な主権国家相互の関係からみた場合、おかしいからだ。一言で言えば「国家の威厳を守るため」というようなもの。まあ、実際には、他国においてかなりキワドイ仕事をすることが必要な外交官が、他国の刑法でバシバシ逮捕されたりすると、相互に外交官を置く意義自体が消えてしまうから、というのが実際の理由じゃないかと思う。また、ある他国の刑法が近代刑法の原則に沿っていないと判断される場合、その他国に滞在する自国民の基本権を守るために、自国民に対する治外法権を他国に認めさせたりする。すなわち、「おたくの刑法は、マトモな刑法ではないので、ウチの国民をおたくの刑法で処罰させるわけにはいきませんなぁ」ということだ。

その一方で、いくつかの重大犯罪の行為類型については、自国民が世界のどこで行為したとしても、国内において処罰する場合がある (属人主義)。これについては、刑法第3条、第4条に規定がある。国籍と刑事管轄の複雑な話については、刑法総論の教科書でも読んでもらいたい。私自身だってちゃんと理解しているわけではないから。

とりあえず、刑法では、属地主義が基本で、例外的に属人主義・普遍主義である、ということを押さえておいていただきたい。さらに、他国で勝手に捜査活動できない以上、他国にいる容疑者を逮捕するのは、とてもとても難しいことなのだ、ということも理解しておいていただきたい。

さて話を戻して。国際的に展開する反社会的行為を取り締まるにあたって、法執行者たちの発想に抜け落ちがちな視点を指摘しておきたい。それは、有罪判決がなされるまで、いや仮に有罪判決がなされたとしても、被疑者もまた法の保護の下にあるということだ。

法執行者になるような人たちは、程度の違いはあれ、

正義... それは我が名。我こそが正義そのものであり、正義とは我が意思のことである。

くらいに思ってる。そうでなければ、法執行の仕事を選んだりしないだろう。ところが、実際には、比較的デキがよいとされている日本の法執行者たちですら、国民の税金をチョロまかしたり、違法な捜査活動をしたりと、さまざまな不祥事を起こしている。でも彼らは、それらが「正義のためにやむをえない小さな代償」くらいにしか思っていないはず。だからいつまで経っても不祥事がなくならない。ここでとるべき よりマシな発想は、「人間は、実行可能である行為を実行する可能性が常にある。さらに、人間の認知能力・判断能力には限界がある。加えて人間は不合理な存在である。ゆえに、恒常的に客観的正義を行使する主体は、存在し得ない」てなものだろう。そういう人間というアテにならないハードウェアに対するフェイルセーフ機構として、制度があるわけ。せめて公務員くらい国民の一般意思・命令である法律のとおりに動いてくれよ。

さて、そうした「俺たちが正義だ!」程度に思っている人たちにとって、反社会的な人たちは常に悪人であるわけで、悪人はヤッツケればいいわけで、したがって彼らを保護なんかする必要がないと考えがち(かもしれない)。だから、法執行者ばかりがあつまって国際会議なんか開くと、

A国代表「ネット経由でウチの国の悪いやつがそちらに迷惑ばかりかけてもうしわけありません。」

B国代表「そちらからやってくる悪い連中には、ホトホト手を焼きます。」

A国代表「すみません。ごめんなさい。こっちでも頑張りますけど、もしウチの国の悪いやつがご迷惑をかけるようでしたら、そちらで好きなように、煮るなり焼くなりしてもらっても構いませんから。」

というような会話が成立してしまうんではないだろうか、と考える。この架空の会話のようなことが本当にされているとすると、かなりマズい。

倫理哲学的・道徳的にはさておき、刑法における「善悪」とは、ある行為が刑法によって禁じられているかどうかだけが基準だ。具体的な行為が刑法の規定に該当するかどうかは、刑事裁判による有罪判決が確定するまで、不明。そして、不明である間は、無罪が推定される。政府が私たちの生命・自由・財産を保護することを目的として設立されている以上、当然のことだ。だから、正当かつ合理的な理由に基づいて容疑がある場合には、法の認める手法での捜査が許されるが、捜査段階において政府は、国民の生命・自由・財産を保障する義務を当然負っている。すると、先ほどの会話において、A国でいう「悪いやつ」とB国でいう「悪いやつ」が概念的集合として一致しないと、A国代表がいうように「そちらで好きなように煮るなり焼くなり」というわけにはいかない。仮にそんなことを言ったとしたら、国家が負う自国民保護の義務を放棄したことになる。

もちろん、近代国家であれば、刑法の内容はおおよそ揃っているから、A国での「悪いやつ」とB国の「悪いやつ」が揃っている可能性が高い。そのときは、A国での悪いことがB国でも悪いことなわけだから、両方の国で同じ類型の犯罪の容疑がある場合は、A国とB国の法執行者は協力して捜査することができるし、双方でそれぞれ処罰することができる。このような条件が満たされていることを「双罰性」と言う。だから、キチンとした主権国家であるならば、双罰性がない行為類型については、捜査共助しない。というか、してはいけない。はず。法は、私たちを縛る以上に、国家権力を縛っているという視点を忘れてはいけない。

次に、行為類型としてA国とB国の文言上の規定が揃っていたとしても、適用される基準が異なっていることがありうる。どこかで使った例かもしれないんで、「またか...」と呆れられるかもしれないが、やっぱり猥褻基準が例としてわかりやすい。世界のたいていの国では、猥褻表現は刑法によって禁じられている。私個人としては、なぜ猥褻がダメなのかという理由については、別稿で述べているように、よくわからないところがあるんだけど。

さて、「猥褻がダメだ」というところでは、世界のほとんどの国で揃っていたとしても、「どんなのが猥褻なのか」が、国によってバラバラ。たぶん、一番基準が厳格なのがイスラム教の影響のある諸国だと思う。すると、それらの諸国の厳しい基準で猥褻を禁じているA国で、たとえば日本のエロパロ系Webサイトが閲覧可能であったりすると、そのA国の猥褻を禁じた規定に抵触する可能性が高い。このとき、A国の法執行者が「日本においても猥褻を禁ずる規定があるんだから、捜査共助お願いしますよ...」と依頼してきた場合、日本の法執行者は応えるべきか? 国際協調という視点からすると「応えるべき」ということになるんだろうけど、すると、A国の猥褻基準が実質的に日本国の猥褻基準ということになってしまう。というのは、この事例において、日本法に照らした場合に有罪でないとしても、法執行者が捜査に乗り出すだけで、たいていの人は萎縮してそうしたWebサイトを止めてしまうだろうから。

でもまあ、実際には、日本の電網界においての猥褻基準は、限りなくアメリカの猥褻基準に近づく方向で緩和されているようにみえるから、上記のようなことは起こりにくいのかもしれない。それでも、児童ポルノおよび関連表現については、

「ダメ!ぜったいにダメ!」

な方向で国際的に撲滅傾向だ。その扱いはほとんど麻薬と同じ。あ... もしかすると麻薬と同じようなものなのかも。

さて、こういう話をしたのは、すでに話題としては古くなった「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律(案)」についての動きを批判するため。名前が長いので、ここでは「刑法一部改正案」と呼ぶことにする。この改正案は、何度も国会に提出されているが、いろんな理由で廃案になっている。だから、いまさら検討する必要もないかもしれない。とはいえ、その背後には、すでに日本国政府が署名した二つの条約が控えている。それらは「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約」と「サイバー犯罪に関する条約」だ。名前が長いので、ここでは、前者を「国際犯罪条約」、後者を「サイバー犯罪条約」と呼ぶことにする。日本国は、両方の条約にすでに署名しており、条約では、条約が要求する内容へと国内法を改正することが義務付けられているわけだから、それらの条約を批准して国際協調するためには、なんとしても刑法の一部改正を実現せねばならないわけだ。しかも、

「諸外国も合意している、国際合意なんですから」

というわけで、なんだか国際的なものに対するコンプレックスのある我々としては、「ああ、もうこれはいずれ実現してしまうのねぇ」という雰囲気が漂っている。でも、実際には、日本だけでなく、その他の諸外国においても、「トンデモ的要素」が理由となって、批准が進んでいないらしい。

考えてみれば、それらの条約は、我々から遠いところにいて、我々とはあまり縁のない国際的かつ組織的かつ電子的犯罪と日夜取り組んでウンザリしている特殊な立場にある法執行者たちが国際的に集まって決めたわけで、我々のかかわる包括的かつ全体的な利益の視点よりも、法執行者が必要とする権限の視点が強いはず。つまり、彼らが、自分達の仕事を進めていくにあたって、「こういう法律を作ってもらわないと仕事ができないよ!」という気持ちでいっぱいの条約であるわけ。その気持ちはよくわかる。だからといって、刑事法の原則を覆すようなことを要求されても困るわけで、ここが論点となる。

では、「刑法一部改正案」を柱に 二つの条約も参照しつつ、ネットワークでの私たちの生活に関連したトンデモ的要素について見ていこう。

まず注目されるのが、「不正指令電磁的記録作成罪」の創設。一般には「コンピュータ・ウィルス作成罪」だと言われているが、条文をみてみるとかなり違っている。

第19章の二 不正指令電磁的記録に関する罪
第168条の二
人の電子計算機における実行の用に供する目的で、次に掲げる電磁的記録その他の記録を作成し、又は提供した者は、三年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
一 人が電子計算機を使用するに際してその意図に沿うべき動作をさせず、又はその意図に反する動作をさせるべき不正な指令を与える電磁的記録
二 前号に掲げるもののほか、同号の不正な指令を記述した電磁的記録その他の記録
2 前項第一号に掲げる電磁的記録を人の電子計算機における実行の用に供した者も、同項と同様とする。
3 前項の罪の未遂は、罰する。

第168条の三
前条第一項の目的で、同項各号に掲げる電磁的記録その他の記録を取得し、又は保管した者は、二年以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処する。

突っ込みどころ満載の条文だ。とくに批判される点として、1項一号の「人が電子計算機を使用するに際してその意図に沿うべき動作をさせず、又はその意図に反する動作をさせるべき」というところがある。被害者側の主観的意図に全面的に依存した要件では、刑法に要求される客観的明確性を備えているとは、とても言えない。加えて、1項二号に「電磁的記録その他の記録」とわざわざ書いてあるところから素直に推論すれば、それは「あらゆる形態の記録」と同義であることがわかる。すると、記録の形態に関する要件もまた無いも同然ということになる。端的にいえば、一号、二号は定義として破綻している。

しかも、第168条の二は、上記のように曖昧に定義された「不正な指令の記録」を「作成し」「提供する」ところが「行為」として捉えられているわけだが、なんとこれについて未遂が処罰されることになっている。作成や提供の未遂とはどういう行為を想定しているのだろうか? たとえば、誤動作してしまいデータの破壊を引き起こすだろう未完成のプログラムを書きかけているプログラマは、不正指令電磁的記録作成未遂罪で逮捕され、処罰されてしまうことになる。しかも、それがノートへの鉛筆の走り書きであっても逮捕だ。誤動作によって利用者に迷惑をかける可能性を含んだβ版のソフトウェアをネットで公開したら、不正指令電磁的記録提供罪ということになる。「公開しようかなぁ〜」と準備しただけで逮捕ということになるわけだが、もうこれはむちゃくちゃだというほかない。

おそらく立法者は、

「いやあ、それはウィルスなんですよ。ウィルス。ウィルスを作成するようなバカを監獄にブチ込むための法律で、みなさまのような一般のプログラマが逮捕されるわけないじゃないですか。あなたには常識ってものが無いんですか。そうですか。バカですねぇ。だから素人ってのは困る。」

と反論するんだろうが、法執行者の常識やら慈悲やらに期待するような刑法の規定は、罪刑法定主義の立場からすれば、法執行者に白紙委任状を渡すようなもので、到底容認できないはず。

※ ここで茶会のメンバーから、この条文についてのとてもよいコメントをもらったので、その要旨をまとめておきたい。ありがとう平田君。

この条文の最大の問題は、「人の電子計算機における実行の用に供する目的で」の部分が、構成要件において行為者の意図や目的を限定するかのように作られていながら、実際には意味を成していないところにあると思います。もし、立法趣旨が「ウィルス作成行為の抑止」なら、「人の電子計算機又は人の電子計算機に含まれる電磁的記禄を破壊又は改ざん又は停止させる目的で」といった文言にすれば用は足りたはずです。

ただ、これだと捜査側が行為者の主観的意図を立証しなければならないため、実際の立件は難しくなります。立法者はこれを嫌って、実質的にみて目的がまったく限定されていない法文にしたのでしょう。

従来なら、「刑法としての謙抑性を守るために、目的犯による立件が困難であることは甘受すべきである」として、こんな立法はなされなかったでしょうが、現在は、(1) 自分だけは常に正義であり妥当であり、決して「悪い人」にはならないと信じて疑わない人々(=正義の人)の増加、(2) 正義の人の増大による「疑わしきは処罰せよ」という社会的圧力の増大、(3) 立法に携わる人々の中での、信念を貫くより社会の要望(=圧力)に応える方が望ましいと考える人間の増加 (4) 現制度の果たしていた役割を合理的理由なく軽視する傾向といった複合要因により、国民の多数、議員、法律家の全てがこうした傾向に賛成してしまっているというのが実情ではないでしょうか。

それから、いわゆる「共謀罪」の創設。これは刑法の直接的な改正ではなく、前回取り上げた「通信傍受法」とセットで提案された組織犯罪対策三法の一つ、「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律」を改正するもの。条文をみてみる。

第6条の二
次の各号に掲げる罪に当たる行為で、団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を共謀した者は、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。
一 死刑又は無期若しくは長期十年を超える懲役若しくは禁錮の刑が定められている罪 五年以下の懲役又は禁錮
二 長期四年以上十年以下の懲役又は禁錮の刑が定められている罪 二年以下の懲役又は禁錮
2 前項各号に掲げる罪に当たる行為で、第三条第二項に規定する目的で行われるものの遂行を共謀した者も、前項と同様とする。

立法趣旨としては「暴力団やテロリスト集団を取り締まる」というものなんだろうが、同法の定義規定では、何かの目的で二人以上の人間が集まって役割分担がされていれば、すべて「団体」ということになっている。で、そうした団体が、第1項一号、二号に定義されている行為について相談したり合意したら、逮捕するというわけだ。

前回までの連載で述べたように、刑法の基本は条文に規定された「構成要件」に該当する、客観的な「行為」を基準に発動するというもの。行為によって、反社会的な意思が具体的かつ外的に作用し、それによって社会が損害を受けた場合、その行為を行った人物を処罰する、ということになる。きわめて重大な犯罪についてのみ、社会への損害が発生しない段階である「未遂」も処罰することになっている。この未遂にしても犯罪の実行行為への着手が要件だ。未遂もまた、なんらかの外面的「行為」が発動の基準になっていることには変わりがない。

ところが、共謀罪が創設されると、500以上の犯罪について、未遂にも至らない段階で逮捕が可能になる。これはどう考えても異常な条文だ。近代刑事法の大原則は、重大な反社会的行為を撲滅するためには、覆されるべき段階に至ったのだろうか。組織犯罪を撲滅するという大儀の裏で、実際には、私たちが他人と協力したり意思疎通すること自体にきわめて大きな負担を課そうとしているように読める。

いつの時代も統治する者が怖れるのは、被治者たちが連帯することで力を持つことだ。ネットワークの時代になって、私たちは、以前よりも他者と連絡し協働することが容易になった。もしかすると、こうした事態を為政者達は怖れているのかもしれない。

「被治者を分裂させ、できれば孤立させて、相互に争わせよ。そうすれば治者は安泰であろう。」

それ以上に、ある種の「思想」自体を取り締まろうとしているようにも読める。私たちはお花畑のようなスウィートな脳味噌の中で「Love and Peace」を唱えつづけなければならないのだろうか。

いつの時代も統治する者が怖れるのは、被治者たちが統治に疑問をもち実態を追究することだ。ネットワークの時代になって、私たちは、誰かの検閲を経ていない情報を共有することが容易になった。もしかすると、こうした事態を為政者達は怖れているのかもしれない。

「被治者の概念を支配せよ。統治への疑問や不信は、それ自体が存在しないものとせよ。言葉を刈り取れ。概念を刈り取れ。」

フリーソフトウェアやフリーコンテンツ活動へも、共謀罪は多大な衝撃を与える。Winnyの後継となるような、著作権法的にみてギリギリの境界を狙うような革新的なソフトウェアの開発を、オンラインのコミュニティで相談・計画すること自体が犯罪になりうるからだ。タカラの「ギコネコ」問題、最近だとAVEXの「のまネコ」問題のような、営利企業によるネットワーク文化からの収奪に対して、議論し、集団的に抗議活動を展開しようとするとそれだけで犯罪ということになりうる。私たちが集まって議論すること自体がたいへんな危険に晒されることになるのがわかるだろうか。

現法案の段階では、著作権法の罰則や、威力業務妨害罪の罰則は、三年以下の懲役なので共謀罪の対象ではない[*]。しかし、著作権法については厳罰化の方向にあるし、威力業務妨害罪についても電網界の現状を見る限り、厳罰化はありうる話だ。で、共謀罪が国会を通過する段階においては、それらの罪は共謀罪の射程に入っていないかもしれない。しかし、その後 それらの罪が厳罰化されることで、後から共謀罪の射程に入ることはありうる。なんだか「後だしジャンケン」みたいな印象をもつのは私だけだろうか。国会を通過するときには、「大丈夫ですよ、重大犯罪にしか関係しませんよ」と言っておいて、後からいろんな犯罪を重大犯罪に組み入れていくことはできる。

[*] ...と書いたら、いつのまにやら著作権法の罰則が強化されて、五年以下の懲役になっていました。なので現在でも共謀罪の対象となりえます。えのもとくんありがとう。

また、刑法一部改正案では、刑事訴訟法を改正して、「記録命令付き差押」という新しい強制執行の類型を作ろうとしている。要するに、それまで批判が強かった「コンピュータや記録媒体の丸ごとの押収」ではなく、「データのみを複写して押収」するというもの。これはデータの複写段階で法執行者による改竄がありえないのであれば、合理的な差押の方法だと思う[*]。ところが、

第99条第2項の規定による処分をするときは、前項の差押状に、同項に規定する事項のほか、差し押さえるべき電子計算機に電気通信回線で接続している記録媒体であつて、その電磁的記録を複写すべきものの範囲を記載しなければならない。

とある。これまで押収の対象となるものは有体物であったので、対象物やそれが設置されている場所を明記・特定することで、憲法35条が要求する令状の明確性が担保されてきた、ということは前回の記事の終わりあたりで説明したわけだが、これがデータとなると対象の特定性が曖昧となり、加えて設置されている場所の特定が意味を成さなくなることは、容易にわかっていただけるだろう。さらに、上記の規定で、電気通信回線で接続している先にまで押収の範囲が拡大されるとなると、実際の令状に どのように押収対象を限定的かつ明確に記述するのか、私には見当もつかない。きっと優秀な日本の裁判官であれば、憲法が要求する明確性を備えた立派な令状を発給してくれるものだと信じている。というか、信じないと怖くてしかたない。「明確な令状」が私達の自由や財産を守っていることを改めて確認していただき、令状の発給において慎重であることを、裁判官の皆様に期待しますです。よろしく、よろしく。

[*] よくよく考えてみれば、捜査側が令状を請求するとき、令状の種類を選べるわけなので、捜査側がサーバまるごと欲しいなぁ、と思ったら結局まるごと押収できてしまう...

... というように、さすがに廃案になるだけあって、「刑法一部改正案」はずいぶん大胆な内容を含んでいることがわかっていただけるだろうか。伝統を重視する刑法学者であれば、「おいおい、そういうんじゃマズいだろう」とたしなめるところだろうとおもうんだけど、

国際協調が! 犯罪組織が! テロリストが!

といわれると、なんだかオッケーな雰囲気になるんだろう。「もう時代はサイバーなんですから、古臭い原理・原則なんてブッ壊すのがトレンドなんですよ!」という革新的立場もあるだろう。でも、ここで踏ん張るのが数千年にわたる法律学の伝統を受け継ぐ法曹の矜持というものではないのだろうか。

最後に、サイバー犯罪条約のトンデモ要素について見てみる。基本的には、それぞれの国内法や国益に配慮やら遠慮やらして、条約の内容に沿わなくてもよい留保可能な項目があちこちにあるし、あくまでも条約の内容は、それぞれの国内法の枠内で実行されるものとしている。とはいえ、サイバー犯罪条約が要求する「国内法の整備」を根拠として、刑法一部改正案に見られるような、近代刑法の原則を乗り越える立法が計画されている状況をみると、「国内法の枠内で」という文言もウツロに響く。

そうしたサイバー犯罪条約のなかでも際立っているのが、以下の規定。

第25条 5項 (英記号は筆者挿入)
要請を受けた締約国がこの章の規定に基づき双罰性を相互援助の条件とする場合において、(A) 援助が求められている犯罪の基礎を成す行為が当該締約国の法令によって犯罪とされているものであるときは、当該援助が求められている犯罪が、当該締約国の法令により、(B) 要請を行った締約国における犯罪類型と同一の犯罪類型に含まれるか否か又は同一の用語で定められているか否かに関わらず、この条件が満たされているものとみなす。

第29条 3項 (英記号は筆者挿入)
締約国は、他の締約国から要請を受けた場合には、特定のデータを自国の国内法に従って迅速に保全するため、すべての適当な措置をとる。(C) 締約国は、要請に応ずるにあたり、双罰性をそのような保全を行うための条件として要求してはならない。

第29条 4項 (英記号は筆者挿入)
蔵置されたコンピュータ・データの捜索若しくはこれに類するアクセス、その押収若しくはこれに類する確保又はその開示のための相互援助の要請に応ずる条件とて双罰性を要求する締約国は、(D) 第2条から第11条までの規定に従って定められる犯罪以外の犯罪に関し、(E) 開示の時点で双罰性の条件が満たされないと信ずるに足りる理由がある場合には、この条の規定に基づく保全のための要請を拒否する権利を留保することができる。

これらは、前に説明した国際捜査共助に必然的に付随する「双罰性の要請」を乗り越える規定だ。双罰性を要請しない ということは、日本法に法執行者が活動するための根拠がない場合でも、どこかの外国の法執行者からの捜査共助依頼がきたならば、上記の規定を根拠に捜査活動を開始できることを意味している。国内法がなくても捜査ができる... これはやる気のある仕事熱心な法執行者にとっては、一般令状を手に入れたも同然。だって、自分の都合で「捜査したいなぁ」と思っていても国内法の根拠がなくて困ったら、どこかの外国の法執行者に連絡して、捜査共助を依頼してもらえば捜査を開始できる。まさに国際的な「捜査権限ロンダリング」

しかも、(A)については、共謀罪が存在していれば、きわめて多数の犯罪について「犯罪の基礎をなす行為」が「犯罪とされている」ことになるので、(B)に記されているように、たいていの場合、双罰性が満たされていると「みなす[*]」わけ。また、法執行者が行う捜査に必要なデータの保全活動は、普通に考えれば強制執行に該当するものであり、令状が必要だと思うのだが、(C)にあるように「双罰性を...要求してはならない」ということになると、裁判所は、国内法に基づかないで、記録命令付き押収令状や傍受令状を発給することにならないだろうか。令状発給の根拠として「○○国からの捜査共助依頼」とだけ書けばいいんだろうか。それとも令状すら必要ないのだろうか。

[*]「実際にはそうでないとしてもそういうことにする」という意味の法律用語。

(D)の部分は、サイバー犯罪条約の要求に従って締約国が犯罪化しなければならない、コンピュータ・ネットワークに関連した犯罪を指す。そして、(E)は、それらを除外して双罰性の不充足を理由に捜査共助を拒否してもいいよ、という。すると、逆に読めば (D)に従って定められたコンピュータ・ネットワークに関連した犯罪については、双罰性の不充足を理由として捜査共助を拒否できないことになる。

これらの規定に基づけば、実質的に「双罰性の要請」の放棄を意味しているように読めるんですけど、私の読み方は間違っているでしょうか。サイバー犯罪条約を批准した国の政府は、どこか外国である締約国の刑事司法権限に自国の国民を晒すことになるわけですが、それは、厳粛な交換条件である憲法によって政府に付託された国民の生命・自由・財産に対する権限や責任を全うしていることになるんでしょうか。どこか外国をダシにして、国内法に根拠のない捜査を行う権限を法執行者に与える白紙委任にみえるんですけど、それは私の思い過ごしでしょうか。

一連の連載の第一回で、刑法の規定は、私たちを縛るのではなく、国家権力の発動を縛るものだということを説明した。私たちは長い間の法の歴史をとおして、思想信条そのものでは処罰されない保障を獲得した。法に基づかなければ生命・自由・財産を奪われることがないという保障を獲得した。国家が私たちの活動に介入するためには、司法権による審査と許可が必要であるという原則を確立した。しかし、それがいったん電網界での活動にかかるとき、すべてなし崩しになるのだろうか。新しい情報技術によって、国家の統治能力や、法執行能力が脅かされていることは否定できない。しかし、だからといって、数百年の伝統をもって培われた価値を放棄してよいというわけではないはず。

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告知

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いやあ、「刑事分野について考えてみる」は大変な仕事になりました。やっぱり畑が違うところで何かを書こうとすると苦労します。間違いやら曲解があるはずですので、もっと詳しい方からのツッ込みを期待しております。でも、毎回ツッ込みを待っていても、あんまりツッ込んでいただけないのは、もうちゃんとした学者だと見てもらえてないのかもしれないね... 寂しいね... 秋だしね... 欝だ (ry。

しかし、そういう状態になったのなら、もう仕方がないと割り切って、邁進するしかない。そう!人生は常に前のめりで。そういう前のめりな感じでさらに募集します。ロージナ茶会の新規メンバー。国立の「ロージナ」が遠すぎるみなさんのために、最近は神田の「さぼうる」やら霞ヶ関のどこかの会議室やらでも開催しております。こういう法律がらみのヲタ話が好きな人はぜひご一報を。メアドは、「ロージナ茶会」で検索すればどこかに書いてあるはず。...じゃないと茶会がツブれそう... 寂しいね... 秋だしね... 欝だ (ry。

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Return 白田 秀彰 (Shirata Hideaki)
法政大学 社会学部 准教授
(Assistant Professor of Hosei Univ. Faculty of Social Sciences)
法政大学 多摩キャンパス 社会学部棟 917号室 (内線 2450)
e-mail: shirata1992@mercury.ne.jp